バイク歴


1972頃 HONDA CIII92
 記念すべきバイク・ライフスタートのバイクです。叔父のバイクで、私が免許をとったら、「まあ、これで勉強せー。」と、貸してくれました。HONDAの看板バイク250/125シリーズの一翼をになう名車が最初のバイクだったのです。しかし、当時はカラータンクが出始めた時期で、若者は、カラータンクに目をひかれた時代でもありました。私もその一人でした。黒と銀のトラディショナルなスタイルは、「とっちゃんバイク」と、言われました。私もこれに乗っていると、友達にそう冷やかされるのであまりいい気はしませんでした。胸をはって乗れるバイクなのに、世界を知らないというのは情けないものでありました。私が乗った後、私の従兄弟(つまり叔父の息子)が乗り、その後処分されました。随分たって懐かしくなり、「あのC92まだある?」と聞いたときには、「誰も乗らんから処分したよー。」となっていました。ああ、トロトロ走った味が懐かしいなあ。(写真は参考写真で、実車ではありません。)
1972〜現在 HONDA CB750K1
 免許をとり、憧れのCBにもちょい乗りをしていましたが、オーナーにはなっていません。知人がK1の新車をゲットします。「乗らなくなったらもらうよ。」などと、話したものでしたが。まさか、ほんの数年で現実になるとは思いもしませんでした。(写真は実車ですが、当時の写真ではありません。)
1973頃 SUZUKI ハスラー250 TS250V
 理解ある親のお陰で新車をゲットできました。(素晴らしいバイク・ライフをスタートさせてくれた親には感謝しています。)。この頃は、身近にラフロードが多かったこともあり、友人たちとモトクロスのかっこよさにひかれ、ラフロード熱が高まっていました。CB熱は影をひそめハスラー熱におかされていました。このときCBを選んでいれば、CBの中のCB...K2の時代でした。このハスラーは後に乗らなくなり手放しますが、今はとてもハスラーが懐かしいです。
1974頃 HONDA CB450K1
 近所の方が、「動かさないと腐るから、乗れるようなら乗ってくれ。」と、言われ、乗っていたバイクです。180度クランク2気筒の雰囲気を強く持ったバイクです。CB450の振動は、W1などの360度クランクとは違う雰囲気がありました。これはこれで味のあるバイクですが、打倒トライアンフT120ボンネビルを目的には失敗したバイクでした。最高速度、最高出力が、カタログデータ的に上回っても、バイクのトータル性能やバイクの魅力にならないということを知ったバイクです。CB450の足まわり性能では高速巡行する気にはなれません。
1975頃 HONDA CB750K4
 大学生となり、東京(世田谷区経堂)で生活。自動車道を頻繁に利用するようになると、ラフロードでは素晴らしいハスラーも苦しく感じることが多くなります。そうなるとCB熱が復活してきました。ハスラーを手放し、CB750K4をゲットしました。タンク類のデザインはK2までのものが好きでしたので、純正パーツを購入し換装しました。当時は、パーツ類は現行パーツであり、タンクが14,000円、サイドカバーが3,800円というリーズナブルな時代でした。
 このバイクは、後に17万Km走行後、転倒してダメージを受けます。今なら修理したでしょうが、その時にはK1もありましたので、それを機にメインバイクがK1になりました。K1とのつきあいが長くなると、随所で改良型のK4の良さに気づかされます。初期型より改良型のほうがいいなあと実感します。
1975頃 kawasaki 650W1SAサイドカー
 私は、いい人の出会いが多くハッピーであります。サイドカーの魅力やサイドカーのドライビング(ライディングとは言いません)を手ほどきしてもらったKIOさんのカーです。「平日は、乗らないから乗っていいぞ。」という太っ腹なおかげで、さんざん自由に乗らせてもらいました。時間の自由のきいた学生の特権でした。しかし、一日走ると、耳がキーン、腕がパンパン。
K1のオーナーに
 知人が「あのCBいるか?」といってきました。2回目の車検もとらないまま車庫に眠っていました。彼の興味は四輪のほうにいっていたようです。(CB750の一番人気のK2でなかったことも手放す気にさせたようです。) 私が「K4あるし、金無いし。」というと、「いくらでも、いつでもいいから」ということで、2台目CBとして私のところへ来ることになりました。といっても、私にはメインバイクのK4がありましたので、K1はしばらくそのままでした。
1981頃
 新潟で就職。最初は、K4とK1の2台のCBをもっていただけだったのですが、CBマニアみたいに思われて、乗らなくなった人たちが「捨てるのももったいないから」ということで、CBを置いていき、CB750が私のところにごろごろ集まってしまいました。実動車、不動車、事故車などいろいろでした。大きな車庫(4トンロングの入る車庫)を借りて、おいておきました。しかし、ただおきっぱなしにしたので、キャブの中でガソリンを腐らせてすぐには始動できないものもでてきました。乗っていれば錆びないのに、錆がういてくるのも出てきます。たまに車庫を開け、少しずつ朽ちていくバイクをみて、バイクなんてたくさん持っていても乗らなければしょうがないなあと、思ったものでした。
1981頃 SUZUKI GT750B5
 これも私のところ集まってきたバイクの一台。車検が切れるまでの間、ちょい乗りをしていました。B5型は熟成のG7で、CBでいえばK4、お気に入りのG7です。(写真は参考写真です。スズキGTクラブより)
1981頃  DUCATI 900 MHR
 友人のバイク。「乗らないと腐るから乗って」ということで自由に乗っていたバイク。二人乗り(テールカウルが着脱式になっています)で峠を走り、カウリングをこすりつけてあきれられたこともある懐かしいバイクです。ツインエンジンのエンブレは強力でコーナー進入はやや扱いにくかったです。メーターがCBと同じ日本電装製でした。
1981頃  BMW R100RS
 友人のバイク。ツーリング好きな私が、そのころ購入を考え興味をもったバイクで時々乗せてもらっていました。高速道路や寒風の風よけの快適さはすばらしかったです。とりまわしがやや重いのと、ドルルルというボクサーツインの排気音と振動は、なんとなく寂しく、私はやっぱりCBの4気筒が好きなんだなあと再認識したバイクでした。
1985〜2003 バイクに殆どさわらず
 結婚、子育て...バイクから遠ざかりました。ストックしていたCBや部品類も放出しました。最後に残ったのはCB750K1とCB750K4。
1997頃 CB250EXPORT(1971)
 知人が、「確かバイク趣味があるっていってたよね?近所のバイク屋がいらないといっているCB250があるけどいる?動かないみたいだよ。」と言ってきました。CB250は好きなバイクです。250なら車検もいらないし、久しぶりちょっとバイク遊びをするかと、もらってきたバイクです。しかし、レストアを始めると、「車庫に3台はおけないからどれか1台処分してください。」というカミさんの指令で、CB750K4を近所のバイク屋さんに譲りCB750はK1だけとなりました。(今K4が欲しいのはこの別れがあったためかも) CB250は、レストアして主に通勤に乗っていましたが、2001年5月にオーバーレブでピストンリングをとばしてしまいました。おりしもスクーターブームも到来で、スクーターに乗りかえました。このCB250のレストアがバイク熱復活のきざしだったのかもしれません。
2001〜現在 YAMAHA MAJESTY
 通勤用にゲットしました。これがなかなか快適です。なんといっても、収納スペースの豊富なこと。雨具や防寒具に、仕事鞄くらいは楽に収納できます。スーパーでちょっとした買い物もOKです。ツーリングも収納があるのでらくちん。ダッシュボードには無線機もセットしました。朝から強い雨の日は四輪ですが、通勤はほとんどこれになっています。
2003〜現在 CB750FII(RC42)
 CB750K1は元気ですが、車令30才以上。高速連続走行や長距離走行など無理をさせるのは心配になってきました。また、古いものしか知らず、今のいいバイクを知らないのも世間知らずというものです。また、すばらしかったホンダの部品供給が、本田宗一郎さん亡き後、雰囲気が変わり、サポート期間を過ぎたもののフォローが悪くなってきて、安心して消耗させられなくなったのです。そこで、現行のCB750をゲットしました。モーターショーで2004年モデルが出るとわかり、あわてて落ち着きのある2001モデルを押さえました。HONDAの空冷並列4気筒は、今やこのCB750のみです。私にとってはCB1300suer4などより、空冷並列4気筒のCB750のほうがはるかにsuperで魅力的なバイクです。このバイクゲットで私のバイク熱は再燃、いや再噴火してしまいました。

[back]